冨田明宏 責任編集メールマガジン『パトス・ハメ』
No.0008-3 / 2009年6月25日 発行

INDEX
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1. 犬が読むコラム - 責任編集後記的な何かが前に来たら - text: 冨田明宏
2. TORTOISE ロングインタビュー text: 冨田明宏
3. リレー・コラム『人生を変えたアルバム』 text: 海猫沢めろん(小説家)
4. 前田久×澄川龍一×冨田明宏鼎談
『ライターとブロガー、(アニメ)批評の今日と雑誌の存在』
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4. 前田久×澄川龍一×冨田明宏鼎談
『ライターとブロガー、(アニメ)批評の今日と雑誌の存在』

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☆この鼎談、少々長いので要約すると、「紙媒体(雑誌)と、ブロガーに対するライターの役割ってなんだ?」という事に集約されていきます。ブロガー達のラディカルでエゴイスティックになりがちな、しかしダイナミックで面白い批評。対する、ライターの存在意義とは?

 

冨田:
前田君とこの感じは久しぶりだね(笑)。

前田:
ですねー。

冨田:
さらに本日は、前回に引き続き澄川先生にもご登壇頂きます。

澄川:
はい、宜しくお願いしまーす。

 

冨田:
突然だけど今回は、ライターとブロガーの関係性について、ちょっと遠回しに問題定義をしたいと思います。

先ず前田君に聞きたいんだけど、ブログでアニメ批評している人たちが、よくディスり合いをしているじゃない?あのいがみ合いの原因は、一体どこにあると思う?外野から見ていると、全然掴めなくてさ。

前田:
いわゆるアニメファンのなかでも、「批評」がどうこう言いたがるタイプの人たちの話、ってことですよね?

冨田:
そうだね。「アニメ」と「批評」でググるだけでも、いろいろな“アニメ批評”が出てくるじゃないですか。

前田:
おそらく、冨田さんが想定されている「ディスり合い」というのは、『鉄腕バーディDECODE:02』のTV放送版7話が、スケジュール管理ミスなどの様々な要因から起こる事故的な低クオリティ作画回――いわゆる「作画崩壊」――なのか、それとも演出意図を持って作られた特殊な回であるのかで視聴者が揉めたことから波及していたんでしたね、たしか。

そのときのことを思い出しつつ、ちょっと乱暴に雑感を述べると、今は、アニメのテクニカルな語り口をめぐって、マッハの戦いを繰り広げている数百人から千人強くらいのコアユーザーと、とにかくアニメをひたすら観て「燃える」とか「萌える」とか感情的に叫びたいだけのマスなユーザーに、アニメファンって固まっていると思うんですね。

たとえば、これは複数の人から証言として聞いているのですが、アニメ雑誌に今求められているのは“インタビュー”を載せることなんですね。ライターの“書き原稿”というのを求めている読者というのは、どうも少ないらしい。

ここからは僕の想像も入りますが、つまり「たかがライターの書いた個人的な解釈に金払いたくない」ということだと思うんです。

ある意味ではわからなくもないですよね。誰かの解釈が読みたかったら、ネットでブログや掲示板を見て回れば済む。だから、紙媒体に書き原稿を載せると、僕ごときならさておき、有名ライターさんの面白い記事であっても、内容以前の段階で批判されてしまうことが多いという感触を持っています。

澄川:
わぁお!そりゃキツいなあ(苦笑)。

それってどうなの?俺はそこはかとなく、違う気がすんだけどさ。

冨田:
俺は、どの雑誌も似たような内容になってしまうインタビュー記事を読まされるよりは、腹の立つ内容であっても、熟考して書かれたライターの原稿に意味を感じるけどね。

澄川:
実際に、インタビューがどの雑誌も似通ってくる、という批判は多いよね。

冨田:
ただその理由は明確で、“神の見えざる手”によるものがほとんどだったりするじゃない?(笑)

澄川:
その通りです(笑)。

ただ、ライターの知識だったり、文章力の差異とかで物事を測られてしまう状況は、確かにどうかとも思うんですよ。

冨田:
なんでこんなことを議題にしようと思ったかと言うとさ、そのブログ単位の批評って結局どこにもエディットされないから、議論が平行線をたどるばかりか、どこからロムればいいのか分かんないくらいに複雑化しちゃっているでしょ?

アニメ論壇というものがあるとするなら、今どういう風に機能しているんだろう?ということが、ひとつあって。

前田:
難しい問題ですね……。

澄川:
たとえば、それをお前のフィールドのロックとかポップ・ミュージックに置き換えてみると、どうよ?

冨田:
ロック、ポップ・ミュージックに当てはめるなら、異論反論あるとは思うけど、『SNOOZER』がユース・カルチャーとしての“声”だと思う。というか、“声”の規範になっている。認めない人も多くいると思うし、俺も諸手を挙げて認めはしないんだけど、やっぱり無視できないし、“意識”せざるを得ない状況というかさ。『SNOOZER』って、もう『rockin’on』の発行部数にかなり迫っているって聞いたしね。

そうやって、田中宗一郎さんみたいな人が異論を巻き込みながら音楽シーンにおけるオピニオンをエディットしたり、彼が批判されることで浮かび上がる問題も、シーンにエディットされているように見えるんだけど、アニメ論壇にはそういうのが見られないなぁと。

澄川:
うん。まあ、確かに……ということを踏まえると、単純に、アニメ誌でオピニオン・リーダー的な媒体がないんじゃないのかしら?指標となる媒体がないから、無政府状態になるのであってさ。

前田:
それはそうだと思います。そしてアニメ誌の場合難しいのは、「そもそもオピニオン誌なんているの?」っていう話になっちゃうんですよ。

澄川:
そうそう。アンチ『SNOOZER』、アンチ『rockin’on』はいるけど、アンチもアンチで『MUSIC MAGAZINE』や『レコードコレクターズ』に寄り添ってるわけじゃない?

完全な無所属は成立しにくい。確かに少数として、媒体に縛られずに自分の知識だけを頼りに生きていく仙人レベルのリスナーもいるよね。

アニメは、その“自称仙人”が多い気がする。みんな若いけど(笑)。

前田:
まあ実際、アニメはTV放送ものだからタダでアクセスできるわけですよ。そしてネット環境の整備で、近年ますますアクセスしやすくなったわけで。

日本人なら誰でも義務教育は経験してるから、教育問題には「俺が子供のころにはさ……」みたいな感じで、床屋政談風にいっちょ噛みできます、というのと、アニメ・ユーザーの「仙人」化問題というのはよく似ている気がしますしね。

音楽の場合は、動画共有サイトがどうこういっても、やっぱりまだまだアクセスにコストがかかる。そうなると、人はオピニオンをきちんと求めたくなるんじゃないかな?

冨田:
いや。俺が知りたいのは、そういうオピニオンがない場合のアニメ史における作品の評価って、結局DVDの売れとか視聴率になっちゃうってこと?それなのに、在野のアニメ系ブロガーたちは「批評」を振りかざすでしょ?

批評することは正しいし間違ってはいないんだけど、その“DVDと視聴率”という絶対的なものと、正しいかもしれない「批評」のギャップの埋め合わせは、どこでなされていくの?

実際にされるべき評価の形成は、アニメ史的にどうなっているの?必要ないの?ってことなんだよね。

なんかさ、今のアニメ評論・批評系のブロガーたちのやり取りって、怨念しか残らない気がするんだよ。

前田:
……これはかなり腰の引けた、恥ずかしい発言になりますけど、だから僕をはじめアニメについて文章書く人って、僕より少し年長の方でも“アニメ評論家”とはあまり名乗りたがらないですからね。僕も、今の段階では、名乗らないし、名乗れない。

「アニメを対象とした文筆業が成り立つ」ということを立ち上げたパイオニアであり、実際にアニメ媒体の歴史と個人史がほとんど重ね合わさるような存在である氷川竜介さんを別格とすると、後続世代で覚悟を背負い込んで、“アニメ評論家”を名乗っているのって、藤津亮太さんくらいでしょ?あとは、すごくいい仕事をされている方でも、ライターとか、もしくは「研究者」みたいな位置に自分をおきますよね。

冨田:
確かにそうだよね。藤津さんの書かれた『アニメ「評論家」宣言』という名著があるけど、宣言するくらいのことなわけだよね、アニメ史において“評論家”を名乗ることは。

前田:
まあ、在野でいろいろ試行錯誤が繰り返されていく中から、ブレイクスルー的な批評の書き手が出てくるのかもしれませんね。それはもう、ほとんど奇跡に近い出来事だと思いますけど。なんというか、もっと新しい語り口というか……。

これは僕の観測範囲での雑感ですけど、今のアニメ評論系のブログって、『アニメスタイル』辺りの影響下にあるテクニック解析論か、映画批評のメソッドにのっかった蓮實エピゴーネンみたいな語り口、“東浩紀フォロワー”の社会批評風アニメ批評、そこからグッと下がって、とにかく“泣いた”“笑った”ばっかり書いてる感想文、くらいのパターンしかない。

冨田:
うん、その通りだと思う。

前田:
そのどれもが、どれも届けられる範囲にそれなりの限界を抱えているのは、わかりきっていることなんですよ。それを超える、全く新しいアニメの語り口って、ひょっとしたらどこかから出てくるのかもしれない。今活動してる人たちや、僕ごときでは想像もつかないようなやり方でね。

冨田:
それはたとえば、新しい世代から出てくるとか、そういうこと?

前田:
うん。無責任な物言いだなー、とは思うんですけど。僕も結局、さっきクサした言説パターンの影響下にある書き手ですから。

冨田:
前田君は、そういう風穴を空ける存在にはなりたいとか、思わないってこと?

前田:
思わないというか……厳しいなぁ。今日はやけに厳しい話をしてますね(苦笑)。

冨田:
いや!別に攻めているわけじゃないんだけど、単純に、当事者から聞いてみたいというだけであってさ。

前田:
うーん。ちょっと、自分語りになってしまいますけど、僕はもうある時期から、「現場の声を雑誌等の媒体になるべく、記録しておくための中間項になるしかないな」という判断を、してるところがあるんです。

最初の話に戻っていきますけど、今アニメ雑誌を動かしていくというときに、読者が求めているのは“インタビュー”と“版権イラスト”だ、というのは大前提で。

冨田:
うんうん。

前田:
後者に関しては僕のタッチできる領分ではないのでさておくとして、前者に話をしぼると、今アニメ・ライターをやるということは、「なるべく誠実なインタビュアーであり続ける」ということに、近しいところがある。

また名前を出すのもなんですけど(笑)、氷川さんは、「インタビューはあまり好きじゃない、なるべく書き原稿で時代の空気を捉えたい」というスタンスですけど、あの方の場合は、その代わりに現場にインサイダー的に入り込んで文章を書く。実質インタビューしているのとあまり差がないところまでいっている、と僕には感じられるんですよね。

で、自分の話に戻すと、僕はもうアニメ・ライターとして自分を規定しはじめているんですよ。とすると、立場的に、いただくお仕事はインタビューが中心になる。そこで、どうやって現実を捕まえて、記録として残していくのか……。その意識の方が、「批評」という形で新しい言葉を作るために割く意識よりも、大きいわけです。

冨田:
そこは前田君が、前に飲んだ時に「やらなければいけないこと」として語ってたよね。つまりは、アニメ評論や批評系ブロガーの、ラディカルだったりエゴイスティックな論旨も、まずはライターが「真実」を伝えなくては議論すら成り立たない、という事だよね。ライターというのは、その「真実」の担い手である、ということか。

前田:
そうですね。真実ではなく、カッコ入れした「真実」である、ということは強調しておきたいんですけど。制作者の発言は唯一無二の正解ではない、ということは、今の状況ではどれだけ強調してもし過ぎではない話なので。

そうした文脈を踏まえた上でいうと、僕は「真実」の担い手でありたい。そのための努力で僕のキャパは手一杯で、同時に「新しい言葉」みたいなものを探していくというのは率直な話、しんどい(笑)。

冨田:
うん、すごくよく分かる。澄川先生はアニメ・ライター稼業初めて3年位だと思うけど、実際に俯瞰と客観してみて、アニメ・ライターって仕事はどうですか?

澄川:
なんか重い話だなあ。切ないねぇ。

冨田:
すまんねぇ(笑)。俺、何か知らんけど急に疑問に思っちゃってさ。
これさ、今日は何の話をずっとしているかと言うと、「紙媒体(雑誌)の役割ってなんだ?」ということなんだよ。

澄川:
俺は、あまりそういうことを考えてなかったかなぁ。なんというか、“仮想敵”じゃないけど、ネットの評価は、評論でも感想でもなんでも、「気にするようだったら見るな」というのはアニメやゲームといったもろもろ創作ごとにまつわる作り手側の鉄則じゃないですか?

冨田:
まあ、確かに。

前田:
まあ、そうですね。

澄川:
それと同じような気がするけどね。俺は器用に棲み分けできないから、って言い訳しちゃうけど、考えたことないもん。

冨田:
確かに、俺もネットはまったく意識しないからなぁ。自分のブログも、プロフィール残して全部消したし。

澄川:
すっげえ乱暴な言い方すると、ブロガーとライターとでは、まったく立ち位置は違うと思います!

前田:
あははは(笑)。まあネットとの付き合い方は、メンドイですよね。そこは個人レベルでうまく距離感さぐっていくしかないというか。正解はない気がするし。

……しかし本当に、冨田さんの「オピニオンがない場合のアニメ史における作品の評価って、結局DVDの売れとか視聴率になっちゃうってこと?“DVDと視聴率”という絶対的なものと、「批評」のギャップの埋め合わせは、どこでなされていくの?」という発言は、グサッときましたよ……。

アニメって、その意味ではまともに「歴史」が語れてないんですよね。歴史のデータベースは整備されてるんですけどね。データ原口(原口正宏)さんとか、本当に偉大な先達の皆さんが、身を削るようにしてお仕事をしてくださっている。

澄川:
たぶんアレだ、前田さんは書きたいことがいっぱいあるから、そこから選択する作業が必要になるんじゃない?

あまり俺にはないんですよ。これをどう捉えて書こう、みたいなことって。受けた情報をより良く発信する――まあ「真実」を担うとまでは言えませんけども。自発的な発信ではないというのかな、俺は。

前田:
そんなことないですよ。僕だって基本的には、慢性ネタ切れ男です(笑)

澄川:
トミーとかは特にそうだけど、基本的に新しいことをやってるわけじゃない?

冨田:
「新しいことをやっている」っていう意識より、「ある方が自然な物がそこに無いのなら作る」という考え方なんだけどね。それが結果的に新しいことになっているのかもしれないけど、モチベーションは結構違う。

澄川:
でもまあ、そういうことだよね。

何が言いたいかっていうと、俺もトミーも、音楽畑から入ってきたわけじゃない?それでまあ、3年ぐらいやらせてもらえるようになったわけだけど、俺は比較的、「音楽好きがアニソンを聴いてくれるようになって欲しい」というのと、「アニソン・ファンが他ジャンルの観点からアニソンを聴く」というのを期待しているというか、つまりは自分に根ざして書いてるわけですわ。

だから、俺が喋らなくてもいい人向けというか、情報の入手先を熟知している人には、書いてないと思うんだ。それで、アニメ批評とか論壇とかはあまり分かりませんが、たぶん何かが変わるとしたら、きっと、既存のアニメファンに向けたものじゃないとは思うんですよ。

前田:
そうですね。

冨田:
そうだよね。

澄川:
たぶん、今の“アニメ批評家予備軍”みたいな人たちは、もう何をやっても動かないと思う。

前田:
それはホント、仰るとおり!で、アニメ批評の問題でいうと、あとは“作り手への声の届かなさ”というのも問題ですね。

澄川:
作り手って、監督とか?

冨田:
そう。あとはプロデューサー。企画決定レベルの人間に、まったく届いてない。

「批評とは別に現場に働きかけることを狙って書くものではない」という原理論があるのはわかるんですけど、事実問題として、“批評”という形でなんらかの消費性向を持つ集団が顕在化して、それが監督やプロデューサー・レベルに届くという現象は、起こりうるわけですよ。なのに、そういう現象が全く起こってない。それが、今のネットで展開されてるアニメ批評の不毛さだとつくづく思います。

冨田:
俺も、まったくその通りだと思う。今日、俺がなんでこんな話題を振ったかと言うもうひとつの理由なんだけどさ、最近ね、ちゃんと残さないとダメだと思うようになったのよ。“ユース・カルチャーの熱気”を。

今のままだと、『DENPA!!!』みたいな素晴らしいクラブ・イベントがあったことも、“参加型アニソン”と呼ばれる現象も、10年後には無かった事にされるんじゃないか?って思ったんだよね。

前田:
ああ。その危惧はわかりますよ。特に、クラブ・カルチャーは本当にマズイですよね。

冨田:
テクノウチさんはその危機感から、ナードコアの歴史を文章で残したわけだ。

前田:
「歴史に残らないくらいの速度で生成変化を繰り返していくのがクラバーの美学」という発想もあるみたいですけど、それは結果論であって、後付の正当化だという気はするんですよね。

冨田:
アニソン自体、こうやって熱くなっている時代性だとか、支持しているリスナーとか、たぶん10年後には存在しないんじゃないか?文脈としては何となく引き継がれているかもしれないけど、まったく意識されないものになりそうだなって。俺は、それは良くない事だと考えることにしまして。

特に意識するようになったのは、畑違いだけど、the telephonesの石毛輝君と話した時でさ。彼らは“洋楽”対“邦楽”みたいな不毛なディスり合いすら起こらないような、もっと寒々しい音楽シーンになってしまうことを危惧しているようでもあって。志の同じバンドを集めてKINGSという集団を作り、その集団でシーンに新しい価値観をエディットしようとしているんだよね。それが見ていて、すごく燃えるんだよ。

前田:
なるほどなぁ。いやでもホントに、その危機感はすごくわかります。

冨田:
そっちにシフトしつつあるかもしれないね、俺の執筆活動とかは。

前田:
「『新世紀エヴァンゲリオン』って、『涼宮ハルヒの憂鬱』より盛り上がってたって、本当ですか?」という発言は、本気で今の中高生はしていますからね。そういわれてショック受けている『エヴァ』世代も、「『機動戦士ガンダム』の劇場版のとき、アルタ前広場でデカいイベントやるくらい盛り上がったって本当ですか?」とかいって、上の世代を泣かせてたんだけど(笑)。

冨田:
そうそう(笑)。ロックやポップ・ミュージックは、リバイバル評価されることが多々ある。むしろ、そういう文化だと言ってもいい。そんなことを最近考えていてさ。

なんか、あれだね。最後にこういう壮大な話になるのが、すごく俺達らしい(笑)。

前田:
(笑)。いやでもね、「物書く」ヤツって、最後はそこに辿り着いていくんだと思うな。

澄川:
そういう意識が、ネット批評家にもあればもっと話は変わっていくんじゃないですかね?自分が言ってることをもっと知らしめたければ、プロになればいいじゃんっていう話。

冨田:
ライターとブロガーの違いって、“メジャー”と“ニコ動”みたいなもんだと思うんだよ。

今の時代、1200万人くらい登録者のいるニコ動の方が”メジャー”的な支持を持っている風に見えなくもないけど、きっとニコ動で流行ったものは、一部を除いてほとんどはユース・カルチャーの歴史として記録されない。その一部というのが、つまり“メジャー”として一般化したものだということ。Supercellとかね。

前田:
マスメディア優位って、人によっては、保守的な発想だと感じるとは思うんですけどね。

「紙よりもデジタル・データの方が将来的には残るだろ?これからは紙媒体よりウェブの個人発信だよ」みたいに考える人もいるだろうし、その発想に一定の説得力があるのはわかるので。

冨田:
それでもやっぱりさ、俺たちって、なんとか現象をマスにエディットしていくことを考えないとダメだと思う。ライターになったからには。

澄川:
まさにそうだ。自分の考えをマスにエディットする、ないしは自分の考えをマスにしたい!っていう情熱があればいいのかもね。ちょっと荒唐無稽な話かもしれないけど。ようは、それほど発信する方向性が違うってことだね。

前田:
多分、マスメディアに対する幻想と、信頼を持っている最後の世代なんですよ、僕らって。同世代でも信頼をなくしている人もいるような世代でもあり。だから、「情熱を持て」ってのも難しい話かもなぁ。

澄川:
たぶん、持てないでしょうね。もちろん、それを見越して言ったことでもあるんですよ(笑)。

前田:
いやーしかし、「『けいおん!』で誰派?俺は紬派なんだけど」みたいなバカ話をするかと思って今日は来たので、かなり予想外の話題ではありましたけど、楽しかったです。

「俺、こんなこと考えていたんだなー」みたいな意外な気づきがありました。普段はライター仲間として横目で眺めている、インタビュアー冨田の“素敵インタビュー術”の片鱗を味合わせていただきました!

冨田:
意外と白熱したね(笑)。そんな感じで、もう夜が明けようとしています。今日はお開きにしましょう。お付き合いいただき、ありがとうございました!

澄川前田:ありがとうございました!

 

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音楽ライター冨田明宏
責任編集メールマガジン「パトス・ハメ」

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